“衝撃?”のフライデー事件から、早や1週間経ちました。
もう何事もなかったかのように、日々は沈静化して過ぎています。
一部の人々の心に、ささくれ立った苦味を残して・・・

12年ほど前に、宇多田ヒカルに関して語った拙文です。
あらためて今、アップしてみました。
白状すると、実は私、何を隠そう・・・
ボブ・ディラン信者なんです(笑)


bob130607


【 Dylan のみた悪夢 】

☆1965年7月、ニューポートフェスティバルにて

同コンサートには、毎年、米国のトラディショナル音楽や、
「社会派」のプロテストソングなどを歌うアーティスト達が集まります。
もちろん、電気楽器(古っ!)やドラムスはご法度。
なぜなら、それらは商業的なポップス・ソングの卑しむべき象徴だったからです。  
いやはや・・・
その中に、若き日のボブ・ディラン(Bob Dylan)はいました。

彼は、1962年にデビューするや、
翌年に発表した「風に吹かれて」が(P.P&M のカバーが有名)ヒットし、
一躍時代の寵児になりました。   
アルバム『フリーホイーリン』や『時代は変わる』は反戦歌や
プロテストソング、実際に起きた殺人事件をそのままモチーフにした
社会性の高い曲がほとんどで、当時の公民権運動にも影響を与え、
「風に吹かれて」や「時代は変わる」は、そういった社会運動のテーマソング
として持てはやされました。

彼は「社会現象」となったのです。

「フォークの神様」といわれる所以です。


ところが、ディラン本人は、そんなレッテルを貼られるのがイヤでした。
ウンザリしていました。 
どこへ行っても「風に吹かれて」を歌わされるのです。
彼は、いつのまにか社会的な歌は作らなくなりました。
声高に戦争反対を唱えたり、実名をあげて人を非難するような
ソシアル・ソングを書かなくなりました。
そのかわり、自分の内面を痛いほどさらけ出し、女々しいところ、
冷淡なところ、ちゃらんぽらんなところ、情けないところを
ラブ・ソングに託して、象徴的な言葉で詩的に表現することによって、
「自分」を語るようになったのです。
シンガー・ソングライターのはしりだった訳です。


さて、いよいよ、ボブ・ディランの出番となりました。
ところが、彼はあろう事か、エレキギターを抱えて登場したのです。
舞台には、ドラムスやキーボード、アンプが据え置かれました。
場内は騒然。
今まで、自分達のヒーローだった若者が
「悪魔の道具」をもって現れたのです
会場の中から、ブーイングが巻き起こりました。
「裏切り者!」と罵声を浴びせる聴衆もいます。
大音響のエレクトリックサウンドを従えて
彼は歌い始めました。

「マギーの牧場で働くのは、もうイヤだ!
 マギーの牧場で働くのは、もうイヤだ!」


会場は、罵倒する者、新しいサウンドに驚嘆する者で、大混乱です。
他の参加歌手が、大音響を発するアンプのプラグを抜こうとしたほどです。
司会役のP・ヤーロウ(PPM)は、混乱して電源ケーブルを斧で叩き切ろうとしました。
ブーイングの嵐が彼を襲います。
「ユダ!」と罵る者もいました。

若きディランは「嘘吐き!」と言い返し、

「今度はもっと大きい音で行こう」と演奏を続けました。

『 Like A Rollin' Stone 』

落ちぶれた良家のお嬢さんをからかう歌です。

あんたはかつて、着飾って、気取って歩いていた。
言い寄る男たちをも馬鹿にして、笑い者にしていた。
でも今はボロキレを着て、これ以上失うものもなく、
透明で、隠すものも何もない。
どんな気分だい?
どんな気分だい?
何でも自分で決めなきゃならなくて
帰る家もなく、誰も知る人もなく
まるっきり一人ぼっちで
転がる石ころのようになって



転石苔むさず・・・
歌は繰り返すごとに、あざけりから新しい仲間への“歓迎”へと
さらには自由な生き方への賛歌へと変わっていきます。
ディランの突き放したボーカル、
アル・クーパーの楽天的なオルガンのリフは、
まるで得意げに町中を練り歩いているかのようです。
いろんな説がありますが、私はここで歌われる「転落したお嬢さん」こそ
かつて反戦歌のプリンスと持て囃されていたディラン本人のことだと思っています。

転石苔むさず・・・
生きるとは、転がり続けて、自分の古い殻を
どんどん脱ぎ捨てていくこと


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我、解放さるべし(I Shall Be ReLeased)


宇多田ヒカル解放さるべし


多部未華子解放さるべし




rp130607
沈黙は金なり